ギルトフリー

節目の節分祭は小諸の正眼院さんでお念仏をあげてもらいました。
1時間にも及ぶお経の意味は理解できずとも頭を垂れて手を合わせて聞いていると、
有り難い気持ちでいっぱいになるんですね。
気が付けば本堂いっぱいに集まった方々とひとつになったような、
魂と呼んだらいいのか、肉体ではない何か、宇宙的な感覚が呼び覚まされる感じです。

今朝、ネットで見つけた「ギルトフリー」という単語。
Guiltyという単語から派生した造語なのか・・
これは罪悪感をもたないという意味なのでしょう。

罪悪感。
これはですね、マクロビオティックを始めた頃に私がとても手をやいた感覚です。
「あー食べてしまった!」「これは体によくないってわかっているのにやめられない」
決まって襲ってくる後悔というヤツ。
食べ物に限らず、スキあらば裁き、それを糧に生きている存在は何なのか。

私がクシマクロビオティックアカデミーで実習と理論の講義を受ける中で、
先生が言っていた「ジャッジしない」ということに通じている。
断じて肉がダメなのだっ!という講義は一度もなかったように。

マクロビオティックをする上でいちばん必要のないものなのに、
あたかもいちばん大事なものにように扱っている裁く心と罪悪感というヤツ。
ギルトフリーは私にはマントラのように響き、普く通る状態、すなわち普通へと誘ってくれます。

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