前回に引き続き北国街道海野宿を散策します。「海野宿資料館」を出て町並みを見てみましょう。防火壁の役割を果たす「卯建(うだつ)」があがった建物が並ぶ様子が美しいです。海野宿の町並みには、特徴的な意匠が見られます。多くの家の二階部分は出格子になっていて、長短2本が交互に組まれています。この美しいデザインは「海野格子」と呼ばれます。また、蚕の飼育温度を保つために室内で火を焚いていたので、煙を出すための「気抜き」がある建物も多くみられます。

 

▲二階の屋根から伸びたような形が江戸時代の「本うだつ」、一階の屋根の上に張り出して作られているのが「袖うだつ」

▲二階の屋根から伸びたような形が江戸時代の「本うだつ」、一階の屋根の上に張り出して作られているのが「袖うだつ」

 

歴史的な建物がカフェや雑貨店として活用されています。どのお店も特色豊か。カフェを備えたガラス屋さんでは、海野宿がある東御市特産のクルミを使った「くるみガラス」などが置かれています。

 

▲看板も可愛いガラス屋さん

 

1986年、道の日の制定を記念して建設省と「道の日」実行委員会により、日本の特色ある優れた道104本が「日本の道百選」に選定されました。海野宿も歴史的町並みが残る道として選ばれています。長野県内では、ほかに2か所が選ばれています。

 

▲「日本の道百選」に選ばれるのも頷ける趣き

 

本陣の建物は残っていません。長屋門などの遺構が残るだけですが、当時の雰囲気を感じることができます。

 

▲本陣の建物はどれほど立派だったのか、逆に想像をかきたてられます

 

お土産などが売られているお店の前に、変わった形の石がありました。人や荷物を運ぶ伝馬に与える塩を盛るための器で、「馬の塩舐め石」というそうです。昔は馬が重労働だったため、ここで塩を与えたようです。人も馬も塩分補給は大切なんですね。

 

▲馬が顔を入れやすいように工夫されたつくりになっています

 

1992年、「美しい日本の村景観コンテスト 集落部門」を受賞。記念すべき第一回、長野県で唯一の受賞だった。

 

▲受賞を記念して造られた

 

2014年4月にオープンした滞在型交流施設「うんのわ」。入口を入ると、奥に伸びる敷地の広さにびっくり。木造2階建て3棟が立ち並んでいます。蔵を改装したという喫茶店、蚕室を改修した蕎麦ダイニング、母屋を改修した海野宿で唯一の宿泊棟もあります

 

▲ワイン特区に認定されている東御市ならではの「ワインソフトクリーム」を中庭でいただきます

 

文部省の「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されている海野宿。保存地区は、「伝統的景観区域」と「歴史的風致区域」に分けられています。「伝統的景観区」は、とりわけ趣が残っています。

 

▲ここまでが「伝統的景観区域」

 

地元の野菜や特産品を売るお店や、お土産店、雑貨店、甘味処、カフェ、飲食店があり、観光地としても比較的充実している宿場町です。特産品のクルミを使った「くるみ蕎麦」や「くるみおはぎ」、昔ながらのほうとうなど、地域の味も味わえます。わかりやすい場所に無料駐車場もあるし、かなり詳しく書かれたパンフレットや各店舗を紹介したチラシも用意されています。宿場の端まで約650m、気軽に散策できるちょうどいい距離だと思います。宿場歩き初心者さんにまずおすすめしたいですね。大河ドラマ『真田丸』の影響で、真田氏ゆかりの海野宿も注目を受けるかもしれません。

 

 今回は北国街道の「海野宿」へ行ってみましょう。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道で、佐渡で採れた金の輸送や北陸諸大名の参勤交代に使われた道です。

海野宿は、寛永2年(1625年)に北国街道の宿駅として開設されました。その後、寛保2年(1742年)の大洪水によって隣りの田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいをみせたそうです。明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。その結果、江戸時代の旅籠屋造りと、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とが調和した町並みができました。道の中央に用水が流れる美しい町並みは「重要伝統的建造物群保存地区」の指定を受けており、「宿場町の保存状態は日本一」と太鼓判を押す研究者もいるほどだそうです。
 
 
「海野宿駐車場」に車を停めて散策スタートです。この駐車場、以前は有料だったような……と思って東御市のホームページを調べたところ、2015年4月1日から無料となったようです。気軽に利用できていいですね。
 
▲駐車場から道を渡ると千曲川が見えます
 
駐車場の隣に「海野氏発祥之郷」の碑があります。海野氏は東信濃を代表する名族で、あの真田氏のルーツともいわれています。海野宿がある海野郷は、平安から鎌倉時代まで海野氏の本領でした。真田昌幸が上田城を築城する際、先祖の地である海野郷の民を呼び寄せて城下の門前に「海野町」を築いたそうです。そのため、海野宿がある地は「本海野(もとうんの)」と呼ばれるようになりました。
 
 
▲この碑は「海野史研究会」が建てたもの
 
海野宿の入口にある「白鳥神社」は、海野氏の祖として伝わる貞元親王などが祀られています。古くから海野宿の産土神として地域の人々の信仰を集め、今でも毎年4月の例祭には街道に大のぼりが立ち並ぶなど、昔ながらの風習が受け継がれているそうです。
 
▲御神木のけやきの木は樹齢700年以上! 「鯨石の噴水」の脇にある巨木も見事です
 
白鳥神社を出て街道に入ると、見事な街並みが目に飛び込んできます。まるでタイムスリップしたかのようでちょっぴり興奮します。少し行くと「媒地蔵尊」があります。案内板に、由来が書かれていました。加賀のお殿様が参勤交代の道中にお参りしたところ、良縁に恵まれなかったお姫様が結婚できたという言い伝えがあるそうです。
 
▲「縁結び地蔵」とも呼ばれて親しまれています
 
少し進んでみましょう。道の両脇にお蕎麦屋さんがあり、お昼時ということもあって賑わっています。そこを抜けると、「海野宿資料館」があります。江戸時代に建てられた旅籠がまるごと使われています。江戸時代の旅籠屋造りと、明治以降の養蚕農家の建物が融合した海野宿ならではの造りで、館内には、海野の歴史に関する資料や、実際に使われていた生活道具が展示されています。入館料200円。近くにある「なつかしの玩具展示館」との共通券もあります。
 
▲二階は出桁造りになっています
 
資料館の裏庭には、風呂場・味噌小屋・白壁の土蔵・地下の桑屋・養蚕関係の展示室などがあり、意外と広いことに驚きました。裏庭の建物まで見て回れる資料館は数少ないと思います。個人的にはお風呂の造りが好きでした。
 
▲裏庭の様子。敷地内に市神さまや姫宮も移されて祀られています
 
▲養蚕・養種・機織り・製糸と展示室がわかれていて、実際に使われていた道具と共に、それぞれの工程が細かく紹介されています
 
予想以上に見応えがある資料館でゆっくり見学………というところで、今回の散策はここまで。次回は資料館を出たところから散策をはじめます。
 
 

 

前回に続き、「茂田井間の宿」です。およそ1.7劼△觸評譴里舛腓Δ秒羇屬△燭蠅法案内板があります。近くには公衆トイレやベンチもあるので一休みできるのが嬉しいです。今回はここから次の「芦田宿」方面に歩いていきましょう。

▲トイレは、「雪隠」と表記されていました。趣がありますね。

 

ほどなくすると、右手に重厚な建物が見えます。個人のお宅なので、あまりジロジロ見るのは悪いなぁと思いつつ……素敵で目が離せませんでした。このお宅のはす向かいに細い小路が伸びています。「小平道」という小路のようです。角に「茂田井学校跡」の案内板が出ているので、そちらへ行ってみましょう。

▲迫力に魅了された民家

 

「小平道」を進むと、右手に「茂田井学校跡」があります。現在は公民館として使われていて、校庭だったところが駐車場になっています。散策の際は、こちらに駐車しましょう。

▲「茂田井学校跡」も映画に出てきそうな可愛らしい佇まい

 

校庭(駐車場)で周りを見渡すと、1段高くなったところに芝生の公園のような場所が見えます。行ってみると、神社の境内でした。「諏訪神社」の創建年は不明。現在の社殿は文化15年(1818年)茂田井の宮大工さんによって再建されたそうです。境内には、茂田井村の各地に合った道祖神を集めて祀ってあります。

▲境内には遊具が置かれ、地域の人たちの公園としても利用されている

 

諏訪神社の鳥居を出て、広い道を右に折れます。酒屋さんの角を左に曲がると、突き当りに「無量寺」があります。入口には、仏教の六道にちなんで人々を救済する「六地蔵」さんがいらっしゃいます。古くから地域の信仰を集めていたそうです。また、「無量寺」の鐘楼は文化財に指定されています。毎日夕方に、この鐘の音が茂田井の村に響くそうです。

▲お地蔵さんの上に鐘楼がみえる

 

▲「無量寺」を背に、寺小路を街道へと戻ります。街道に出ると馬頭観音がある

 

「馬頭観音」を過ぎると徐々に登り坂になってきます。そして現れる急な登り坂! 「石割坂」です。「こんなに急で旅人は大丈夫だったの?」とちょっと心配になってしまう角度です。解説板によると、「勾配がきつく大きな石があり交通に不便だったが、その石を割り中山道を開通させたので石割坂と呼ばれている」そうです。

▲特に急な部分は滑り止め加工されています。その区間130歩でした。

▲「石割坂」の途中には「上組高札場」があり、登りきると一里塚があります。

 

少し進むと出口(芦田から来たら入口)です。こちらにも案内板とパンフレットが置かれています。こちらから歩くと全体的に下り坂になるので、この方が散策に向いているかもしれません。

 

玄米ご飯

カテゴリ :  
御飯いただきます。  :  2015-10-5 6:40
yukko

 

世界中にある食文化はその土地の気候や風土といった自然と関わり合いながら受け継がれてきたものです。
熱帯地域ではスパイスを使った食文化が発達しベジタリアンが多く、寒冷地では動物性食品を加工し保存する食文化があります。
どの国の食文化も先人たちの知恵がつまった素晴らしいものです。
現代は流通が盛んになったことで私たちは世界中の料理をいとも簡単に食べられるようになりました。
自然と共に受け継がれてきたものを、私たちは全く環境の違う土地で暮らしていながら食べ続けています。

栄養はたっぷりなのに、季節が変わると風邪をひいてるのはどうしてでしょう。
いつもイライラしているのはなんででしょう。
お腹はいっぱいなのに心が満ち足りないのはなぜ?

ドイツからやってきた栄養学はさておき、食物を「いのち」として見ると、その食べ物の形や色、大きさまでが自然界の法則に従って成長していることがわかります。
「いのち」を「拡散(陰)」と「収縮(陽)」という2つの性質で見分けていくと、偏りのない「中庸」という在り方があることを、私たちは知ることができます。
日々、拡散と収縮を繰り返しながら変化する環境に、体も心も柔軟に合わせていくためには「中庸」の座、すなわち坐禅であり、神道では中道、その座がしなやかでいちばん強いということを先人たちは知っていました。
それは新しいものの見方などではなく、世界中の伝統的な食文化の礎となっているのです。

日本食は主食と副菜に分かれています。
主食は米です。
「いのち」として米を見ると、玄米は水に浸せば芽を出す生きている米です。
部分を削った白米は芽を出しません。

ただひとつ、「いのち」が宿る主食をいただきたいがゆえに、玄米を食べる。
玄米を食べることを目的とせず、「いのち」をいただいて自分の「いのち」を輝かせることを目的として、世界にたったひとりの自分として生まれてきた自分を生ききるために、粒まるごとの「いのち」をいただく。

副菜は季節の野菜を使い、切り方や調理法で変化をつけます。
桜の花が添えてあるので春の食事です。
切り干し大根の煮物、炒り豆腐、青菜のお浸し、味噌汁、漬物。

 【茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)】「古い町並みが残っていてきれいなところだよ」と薦められた茂田井宿。さっそく行ってみようといろいろ調べたところ、「茂田井宿」というより「茂田井間の宿」というのが正式なようですね。というのも、茂田井は「中山道69次」の中に入っていない「間の宿(あいのしゅく)」。宿場間の距離が長い場合や、峠越えなどの難所がある場合に、宿場と宿場の間に興った休憩用の町なんですって。確かに難所の前では休憩したいですもんね。長野県内では、茂田井のほかに桜沢(塩尻市)や大妻籠(南木曽町)も「間の宿」にあたるようです。「茂田井間の宿」は、望月宿と芦田宿の間にあり、2つの宿場に泊まりきれない時、代わりに宿としての役割を担っていたそうです。

望月宿から芦田宿方面を目指します。普段この辺りに来ても国道142号しか通らないので、中山道がどこを通っているのかよくわかっていなかった私ですが、国道沿いに「望月宿西入口」という親切な名前の信号を発見。左折すると中山道望月宿の西端に出ます。そのまま中山道を進みます。

▲「観音寺入口」バス停の先に「茂田井」への入口を示す看板があります

少し行くと池の先に右側へ下る坂が現れます。ここが「茂田井間の宿」入口です。いわれが書かれた看板が立ち、案内図が入った箱があります。茂田井には街道資料館や案内所がありません。ここでパンフレットを入手しておきましょう。この先は、車のすれ違いが困難な箇所もあります。次回紹介予定の駐車場をご利用ください。

▲「茂田井間の宿」へは右の細道を下ります

入口から3分ほど坂を下りきった右手に、雨乞いの神様が祀られる「神明社」があります。ここを過ぎると道の両脇に昔ながらの建物や水路が現れ、ぐっと趣がでてきます。白壁が続く見事なお屋敷もあります。武重本家酒造です。江戸時代後期の住宅と酒造施設30棟が国の登録有形文化財に指定されており、一度に30点もの物件が登録されるのは全国的にも少ないそうです。こちらの酒蔵では、文化財の建物の中で造っているんですね。映画『たそがれ清兵衛』のオープンセットが組まれたそうです。

▲武重本家酒造の向かいには、
この地をたびたび訪れていたという若山牧水の歌碑があります

▲ここから少し登り坂になります。白壁が続く様子と水路と坂がとても美しいです。
天気も良かったので、画板を持ってこの風景を描いている人も居ました

ゆるやかな坂を登りきると、右手に大澤酒造があります。こちらもまた素晴らしい建物です。元禄2年創業で300年以上続く老舗の蔵元。創業時の酒が白磁古伊万里の徳利に入れられて保存されており、日本最古の酒とされているそうです。敷地内には酒造用の建物を利用した「しなの山林美術館」と「民俗資料館」があります。歴史ある名家ならではの資料がみられます。

▲大澤酒造の門内

大澤家の塀のはずれに「茂田井村下組高札場跡」の表示があります。大澤家は元文2年(1737年)から明治4年(1872年)まで茂田井村の名主を務めた家柄だったそうです。

▲高札場跡の立札。歩いてみたい小路がたくさんあります

さらに少し進むと、現在地を示す案内板があります。どうやらこの辺りで半分くらいのようです.........というところで、今回の散策はここまで。次回はここから散策をはじめます。

 

 

 

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