アサマde ブログ - 海鮮丼とタラの目玉と波音と。
欲しくないと本心から思っているのか、それとも食べてはいけないという思考に囚われているのか、それは同じ「頂かない」という選択でも全く違う。
後者はマクロビオティックじゃない。
自分の感じていることを大事にするというのは基本で、知識でがんじがらめは苦しくなる。
マクロビオティックを始めてからめっきり友だちが減ったわ。
めんどくさいヤツだと思われているかも知れないなぁ。
それは誤解です(笑)
新潟のヒスイ海岸へ行き、教えてもらった漁港に近い漁師料理のお店でいただいたおすすめの海鮮どんぶり。
ごはんの上の海鮮は二段になっています。
カニ、イクラ、蟹の卵、タラコ、鯛、ヒラメ、タコ、貝、アジ、南蛮エビなど。
一切れが大きくて食べ応えが半端ないのですよ。
お刺身だけでお腹いっぱいになる。
お米は粒が大きくてモチモチしている糸魚川産のコシヒカリです。
あら汁はタラと甘エビの出汁がしっかりとした、コクがあって、ボリュームがあって、愛がある。
今日やってくるまで自分には縁がないと思っていた海がとても近くに感じ始めた。
「海の暮らしってどんなかなぁ」
カニの身を搔き出しながら、友人と巡らす「海の暮らし」に花が咲く。
「日本海の冬ってどんなかなぁ」
こんな贅沢な海鮮をいただくのを海の暮らしとは思わないけれど、
あら汁のお椀にタラの目玉が入っていて、びっくりしたけど、次の瞬間にジーンとした。
「イノチをいただくって、こういうことです」
タラがしゃべる。※妄想です。
寒い海沿いで暮らす人々の余すことないイノチの頂き方。
私たち旅人は海の暮らしを知らずにその日、海のイノチをいただく。
海沿いの市場ではその日水揚げされた海産物が並んで、
旅人たちが、その新鮮な美味しさを家族や知人たちと分かち合いたいと買い求める。
波の音を聞いていたら、重要だと思っていたことがちっぽけだとわかり、勘違いだったと気づくなんて当たり前のこと。
石がどれだけ眺めていても飽きないのはひとつとして同じものがないから。
ひとつとして同じものがないのでストレスフリー。
比べることはアホらしくなる。
石の個性を値段や一般的価値観でいちいち比べてジャッジするのは無意味の極地。
自分も石のように言葉を必要としない海で、
これまでどんだけ意味のないことを語ってきたかと気づくのは恐ろしい。
恐ろしいが仕方ない。当たり前の領域だもの。
シェアしなくてもいい。
波の音の中の情報は言葉のレベルを超えている。
シェアできない。
海に言葉はいらない。
人と人も同じさ。
イノチとイノチも同じさ。
波の音を聞きながら私のイノチが伸びをした。
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