5月半ばの童謡アプリの録音から6月のライブに来てくださったみなさま、スタッフのみなさま、ご縁をいただきましたみなさまに感謝いたします。

6月はライブが続いて、体力的にどうなるかと思っていたのですが、
終えてみますと心配することなどひとつもなかったのです。
野外ライブ、ホールライブ、カフェライブ、古民家、蔵、スタジオといった会場で私は私の歌を歌う。
いろんな分野の方と出会うたびに思ったのは、その人のどんな部分と繋がりたいと思っているのかという問いのようなものでした。
人は多面的。
関われない部分もあって然り。その面で関わらなくとも探れば必ずわかりあえるところにでくわします。
これ発見。

怒涛の6月最後の日。30日は夏越の大祓いに伊勢の椿さんに行ってまいりました。
水量半端ない椿大神社の滝に入るときはいつも怖くて、これは何度経験しても怖さに慣れることはないです。
それでも続けている理由は何なんでしょうね。
よくわかりません。
よくわからないから続けているんでしょうね。
わかりきったことなんか面白くもなんともないのでしょうね。

椿さんの滝に肩から入っていきますが、昨年は飛ばされて3回チャレンジするも入れなかったです。
今年は滝に入ることができて、手を組むことが出来ました。
全然かっこよくないです、わたし。
全然きれいじゃないです、わたし。
滝に入るのは若いひとだけじゃなくて、筋肉が衰えた高齢者も入ります。
高齢者といっても若い頃から滝行をしている方たちだから許可されているのですけれど。
どんな思いで滝に入っているのかを知る由はありません。
そこは聖域。興味本位で気軽におしゃべりするなんてとんでもないっす。

滝を経験した友人たちといろいろ話しはするのですが、
滝の経験は人の数だけあるのだということがわかるだけです。
その人の顔つきが柔らかくなってるなと感じるくらい。
恐怖を乗り越えたからなのか、忌汚れが取れたのか、それも他人にはわかりません。
私は滝に飛ばされる自分も、かっこよくない自分も、きれいじゃない自分もぜんぶ私なんだということがわかったというところ。
そういう自分を好きになれずに認めてこなかった人生ですから、滝でやっと自然界の一部になれた感覚。
私のたわごとです。

7月に入りました。
2015年の折り返しです。
滝にご縁を感じらえる方は7月20日に小諸にある不動の滝で滝開き神事があります。
初心者でも参加できますが、いくつか約束事がありますので参加希望の方は私のFBでもいいのでご連絡を。
滝は行のひとつですから真剣に挑んでくださいね。