super nova


SUPER NOVA(1969)《ショーター追悼その2》

1969年の11月に三島由紀夫が自決し、一方ではベトナム戦争反対、ヒッピムーブメント、
学生運動、70年安保とか世の中が動いていた時代。
自分の通う高校も学園紛争の波が押し寄せ学生運動家たちによって秋に学校が占拠、
封鎖され僕らは翌年の4月まで授業がなかった。(→学校の授業ないので勉強もしなくなっちゃった)

音楽のほうではマイルスの『IN A SILENT WAY』(1969)『BITCHES BREW』(1970)と問題作が連発、
従来の4ビートのジャズに革命が起こったような刺激的な時代だった。
ジャズ保守派からはロックに迎合したという意見もあるが『BITCHES BREW』は通常のロックビートではないし、
普通のポップなコード進行の曲でもない。そんなイージーなロック迎合ではない。

ただマイルスは「俺は世界一凄いロックバンドができる」と豪語していた。
マイルスはロックの奴らが凄い稼いでいるのにアタマ来てたし、いつまでもジャズが
夜のクラブで酒のつまみBGMしてることから抜け出したいという強い気持ちがあったのだろう。
ワイト島の野外ロックコンサートに前座扱いの昼間に出演している。
すでに巨匠域のジャズマンがだ。
またジミ・ヘンドリックスやファンク系にも興味をいだいていた。

坂本龍一さん(父親が三島の編集に関わった方らしい)も当時東京芸大作曲科に入った、
しかし『BITCHES BREW』とかが出ているし、学生運動等激動の時代なのに、
みんなクラシックのお花畑状態で違和感を感じだんだん行かなくなった、と言っている。
ただ民族音楽の小泉文夫の講義は受けてたとか、民族音楽と電子音楽の興味に傾いていった、
ということらしい。僕も小泉文夫の本は殆ど読んだ、当時のテレビ出演もよく見てた。

写真のウェイン・ショーターの『SUPER NOVA』(1969)もそういった革新的なアルバムだった。
ショーターはソプラノサックスを吹き、コード進行の音楽ではない、
そしてモード手法の概念をさらに超えてアブストラクトな世界観にいっちゃった。
これはやはり60年代フリージャズや現代音楽のアヴァンギャルドということだろうか。
ショーターの場合、ロック的なリズムにはいっていなくて南米寄りの感じ。
ただ時折リリカルなメロディがあり、僕は「Capricorn」という全体はルバートで演奏される曲の
モティーフをアレンジして自分達のバンドで演奏していた。
一見カッコよく聴こえるが、今聴いたら高校生の稚拙なアレンジではあろう。
ただコピーとかではなく原曲を壊して独自の発想に置き換えて演奏していた。文化祭でやったと思う。

この『SUPER NOVA』ではジャズやロックを自在に超えて弾きまくるギタリスト、
ジョン・マクラフリンの出現も凄かった。
『BITCHES BREW』では演奏がすごくてマイルスはある曲名に「ジョン・マクラフリン」と命名しているくらい。
またその後ショーターとWEATHER REPORTを結成するチェコ人ベーシストのミロスラフ・ヴィトウスも参加、
またチック・コリアもドラムとヴィブラフォンを演奏している。
集団的な即興アンサンブルで厳密なソロ回しはない。

1曲だけアントニオ・カルロス・ジョビンの「Dindi」が唯一メロディアスな普通の曲。
この名曲をマリア・ブッカーが歌い。
最後は感極まったのか、泣き声が入っている。
ただこの名曲も前後はアブストラクトな演奏で情緒的に流されていない。
1曲目のペシミックな1モティーフをひたすら展開即興する「Super Nova」は
疾走感の凄い曲、珍しくショーター吹きまくる。
「SweaPea」はチックのヴィブラフォン、ウォルター・ブッカーのガットギターが
神秘的に導入,独自の抽象的なバラードともいうべきか。
マイルスバンドでもやっていたリズムキープの聴きやすい「Water Babies」とめちゃ好き。
ピアノがいないので和声が支配的にならない、いい意味での揺れ、きちんとした感じじゃない
のがとてもいい。ピアニストがいると和声に安定感が得られるがセンス悪いとこういう曲では最悪。
モード系のジャズはコード進行というレールが敷かれていないので
素人ジャズには手を出せない部分がある。概念を理解するのが難しい。

アイアート・モレイラ、ジャック・ディジョネットと最強メンバーがまたいい。