Wayne Shorter追悼#3
Wayne Shorter追悼#3
マイルス、チック、フレディ・ハバード、マッコイ・タイナーと1960年代に日本では
新主流派とか呼ばれた(まあマイルスはマイルス、チックはチックだけど)
アルバムを次々に出してたミュージシャンが旅立ってしまった。フレディ・ハバードなんかは
凄いテクニックのトランペッターだったし、ハンコックの『Maiden Voyage』で凄いソロしてる。
マッコイもコルトレーン死後少ししてから急にコルトレーンの後を継ぐような
アルバムを連発していて凄い勢い感じた。
そしてLydian Flat7thの師匠、チック・コリアがいなくなり、ショーター先生ときちゃう。
ショーター、死ぬ直前までエスペランサ・スポルディングという
若き天才肌のミュージシャンとコラボしているのも凄い。
振り返って
ウェイン・ショーター、1960年代っていうと。
モダンジャズ(スウィング・ジャズは白人の軽いダンス音楽と考え硬派な人はジャズ扱いしていないので
モダン・ジャズ、パーカー以後がジャズという考え方)を作ったチャーリー・パーカーから
1950年代にはハードバップへ進化し
それらを受け継いだ時代で、一方にオーネット・コールマンがフリー・ジャズを
提示し。そしてフリーまではいかなくて全体の枠はあり、みたいなモード手法の発展があり、
バップ以後コード進行が複座になりすぎインプロヴィゼイションの自由さを求めた演奏家たちは
いろんな手法を模索しつつ1960年代を生きた。
1960年代中期からはエレクトリック、ロックといった新たな価値観、
技術革新のなかで1960年代末は混沌となっていき・・・いやいやメチャ面白い時代でした。
誰かがアルバムを発表するたびにワクワクしたし、それまでの音楽を壊していく、みたいな。
それは業界の枠みたいなものにも革新が起きてフリーコンサートとかも起き、
その後産業として巨大になり過ぎて、マーケティング的に売れ線みたいな考え方になる直前、
いい加減な感じを含めてミュージシャンの自由度が高かったような気もする。
勿論食うことを考えないと、という面はいつの時代もあるけど、確立された体制に向かっていく、
みたいな価値観が若者の間で共有されてた気がする。今はちゃんと売れることやろう、
お客さんが喜んでもらえること、といった良くも悪くも商業的に発展しすぎたような価値観が全体を支配する時代。
ショーターさんは神秘的な曲がひとつのコンセプトで、ハードバップの普通な曲の書き方から早く抜け出し、
オリジナリティを感じる音楽を作ってた。しかし当初ロックをすぐには受け入れていない。
こういうところも自分でコンセプトが建てられる人だから、ロックが流行ったからといってすぐに飛びつかず、
やらされてる感がないのがショーター。マイルスはいい意味で若者の中に飛び込みたかったんでしょうね。
名作でいて大問題作『Bitches Brew』(Miles Davis)の中のショーター作品はアルバム中唯一4ビート系だし、
写真中央の上から2番目の『Odyssey of Iska』もリズムはブラジル寄り。
そしてミルトン・ナシメントというブラジルの素晴らしきシンガーソングライターを世界に紹介したり。
WEATHER REPORTになるとロックリズムも取り入れている。