カテゴリー: 天池窯にっき
(2015年09月19日)
投稿者:okamoto
9月18日、満州事変へと発展するきっかけとなった柳条湖事件勃発の日に、「戦争法案」が可決されました。
戦後70年ではなく、新たな始まりを目指して、雑誌たぁくらたぁに連載中の「 石油文明から太陽文明へ」の原稿を発行前にアップします。

8月15日
戦後70年の8月15日、今年も終戦記念日に戦争体験を次世代に伝えようと様々な活動がみられました。一方、日本人の死者310万人の10倍とも言われるアジアの犠牲者の声を聴く機会は少なく、侵略の歴史の風化が危ぶまれます。国際的な常識では、9月2日、日本がミズーリ号でポツダム宣言に調印した日を太平洋戦争終結の日としていますが、日本では、ご先祖様を敬う美風であるお盆を独自に終戦記念日とすることで、家族の無念を思い起こす日となっています。お盆休みという伝統行事に紛れることで、本来なら、軍国主義からの解放を祝うこの日を国民の祝日に定めることもせず、ましてやアジアの犠牲者に寄り添うこともないまま70年が過ぎました。「ポツダム宣言について詳しくは承知していない」と言ってはばからない安倍首相にとって終戦記念日は、靖国神社を参拝し、お国のために戦った英霊に思いを馳せる日として、どうしても8月15日でなくてはならないのです。首相は、70年談話を表明したその夜のNHKテレビで、女性キャスターが、母親たちの徴兵制への懸念について質すと、「近代戦はIT兵器を扱える高度に訓練された少数の精鋭がいれば十分なので、徴兵の必要はありません」と答え、後方支援の枠を超えた、アメリカ並みのハイテク戦争を思わせる、まさに馬脚を現した答弁を行いました。ここでも日本人の被害者は出さないから大丈夫という視点ばかりで、相手国の人々への加害意識は皆無でした。
国家とは何か
アジアの資源と市場獲得を有利に進める手段として、アメリカに追随し続ける姿勢は、朝鮮戦争を機にアメリカの認める範囲内で、豊かさを享受してきた、「懐かしい昭和の記憶」があるからでしょうか。物不足のさなか、世界中が生産力の向上を競い合った高度成長の時代は終わり、今求められるのは、資本主義でも社会主義社会でもない、誰もが語り得ていないもう一つの未来像を示し、足元から実現してゆくことです。私たちが共感する「菜園家族」構想をはじめ、同じテーマに間向かう者たちの共通点は、地方、ローカルに軸足を置く生き方です。そもそも、庶民感覚における「国」は信濃の国のサイズでさえも広すぎて捉えきれません。故郷の自然に生かされ、それらを最大限活用する為の知恵と工夫こそが、お国自慢、風土のもたらす地域の文化です。明治になって近代国家をめざす政府は、そもそもローカルでしか語り得ない概念を無理やり広げ「日本の風土、日本の文化」という実体のない共通項を作り上げて、国家、そして日本人という意識を覚醒させようとしてきたのです。多様であるが故に豊かなローカルの時代を地方から再現してゆく道の行く先に、時代錯誤の国家主義を乗り越える希望を見出したいと思います。

沖縄振興策とプレミアム商品券
 沖縄辺野古の新軍事基地建設に反対する沖縄県民に対し、政府の対応策はと言えば、沖縄振興策という名の札束での懐柔策があるのみです。かつてはその受け皿だった地元の保守派が、いまは機能しません。一方、内地はと言えば、3・11の教訓もよそに、交付金欲しさに、原発の再稼働を自ら求める自治体も現れている有り様です。
統一地方選挙の直前、緊急経済対策の目玉として2014年度の補正予算に盛られた2500億円の「地域消費喚起・生活支援型」交付金は、全国97%の自治体で、また、長野県では77市町村のうち小谷村を除いた76の市町村を通じて、プレミアム商品券としてばらまかれました。他人の名義を借りてまで商品券を買いあさる事例が頻発する中、飯山市では、先着順で、一世帯100万円まで、総額1億7千5百万円分が用意された20%お得なプレミアム商品券が、発売の3時間前には売り切れ、僅か192名が20万円の不労所得を得るために多額の税金が使われ、市民のひんしゅくを買いました。内閣府が掲げる地方創生とは、国民の税金をばらまいて、国民の票を買う、挙句に国民の信任を得たとして、憲法違反の戦争法案を通す事。一升瓶をぶら下げて投票依頼をすれば悪質な選挙違反とされる世の中でこんな暴挙がまかり通っているのです。私は近頃、与野党を問わず政治家が好んで口にする「国民の皆様」なる言葉に違和感を覚えています。内地の人間も沖縄に倣って、目を覚まし、一人一人が目先の金に惑わされない生き方、国民ではなくローカルな市民としての生き方を始めない限り、原発も、戦争も無くなる筈はありません。

地域通貨の可能性
 今、それぞれの市町村は自治体という誇り高い名前を頂きながら、国の交付金を地域にばらまく下請け装置に成り下がり、住民もまた、これに群がっているのが現状です。こうして自治とは裏腹に国家の意思が地域社会の隅々にまで浸透する限り、原発は動き続け、アメリカ並みに戦争を公共事業とする国家へと落ちてゆくのです。1999年にNHKのBS放送で「エンデの遺言・根源からお金を問う」が放送されると、地域通貨への関心が一気に高まりました。しかしその多くは、根源からお金を問うことなしに、商店街などで地域の活性化と称して、お得感のある地域振興券として発行されましたが、大半は雲散霧消しています。そもそも地域が主体であるべき話に国が便乗し、主導したのが、先に述べたプレミアム商品券です。便利な交換手段に過ぎなかった「お金」はグローバリズムの世界で「マネー」へと変貌し、私たちの暮らしを攪乱しています。大企業保護、軍需産業育成のための戦争法案審議の陰で、改正労働者派遣法が成立し、企業はますます雇用における自由度を増すことになりました。こうした市場原理の病魔に対抗する為21世紀の未来社会では、「菜園家族」を担い手に、地域を主体とした、「自然循環型共生社会」を取り戻して、国家に頼らない、「免疫型自律社会」を構築してゆこうというのが、小貫雅男氏の提唱する静かなるレボリュションの骨子です。菜園と共に、「手仕事のスピードで暮らそうよ」をテーマに自らものづくりを進め、豊かな暮らしを目指す小諸のエコビレッジでは、増殖しないお金、正当な交換価値を持つ、地域通貨の必要性を痛感し、シローネ・コインを発行、これを広める活動を行っています。名前の由来は、かつて環境政策を学んだスウェーデンの通貨クローネからの発想です。苦労はご免とばかり黒を白に置き換えて、お互いを良く知ろうねと言う意味も持たせました。表は、小諸から見た浅間山を、コインの裏側には、「自然循環型共生社会」を表し、浅間山麓で共に生きる、ツキノワグマ、ニホンカモシカ、そして太陽、水、更に稲穂をデザインしました。世界が金本位制を手放した時からマネーの暴走が始まったことに鑑みて、シローネは米本位制を取っています。また輪郭には内山節さんのお話から学んだattakai・okaneの文字を刻みました。これからもこのコインが取り持つあったかい地域を目指して活動を続けます。


カテゴリー: 天池窯にっき
(2014年10月15日)
投稿者:okamoto

10月1日から6日まで福岡ー熊本ー鹿児島へ久しぶりの大旅行?をしてきました。信濃毎日新聞でもお馴染みの哲学者、内山節、河川工学の大熊孝、環境倫理学の鬼頭秀一の3氏が主宰する「哲学塾」には以前から参加してきたのですが、今回、水俣で開催される機会に、旧友を訪ねる旅を計画したのです。まずは福岡空港から博多へと向かいました。博多といえば屋台。でもお酒を飲めない私は、ウーロン茶で屋台に繰り出す勇気もなく、駅近くのラーメン店でとんこつラーメンを食べたのですが、☆1つ、残念な結果でした。翌日は西鉄バスで太宰府へ向い、天満宮にお参りした後、臨済宗の古刹、光明寺へと向かいました。

石庭が美しい光明寺

大学卒業後、2年間務めた会社を辞め、京都の職業訓練校で焼き物の手解きをうけました。その時共に学んだ友人が、いま光明寺の住職を務めています。当時の性格そのままに美しく手入れをされた石庭でしばらく語らい、夜は北九州の美味しい海の幸を頂きながら、旧交を温めました。

カテゴリー: エコビレッジ物語
(2013年08月23日)
投稿者:okamoto

8月17、18日小諸エコビレッジ祭が行われました。アサマデのメンバーからも教子さん、ユッコさん和久井さん、岡本が参加し

会場には吉祥さんもお見えでした。工芸、食、ステージのある会場はお天気にも恵まれ楽しい雰囲気に包まれました。

食のブースで腹ごしらえをし、来場者もゆっくり楽しむことができました。

会場にはゲルやティピも建ち、興味を引いていました。

表も裏も極めた?ななめ千家はソーラークッカーで湯を沸かす、ソーラー茶会での参加。

17日のステージは健さんのサポートでユッコさんのコンサート、18日はターボーのPAで教子&ターボー、

そして和久井さん、岡本が参加する浅間ケルト楽団も8名の大編成で参加しました。

 

会場には15日に上梓したばかりの写真集を紹介してくれた山本宗輔さんとトンボ玉アクセサリーの典子さんの

ブースもありました。祭の様子は、プロのフォトジャーナリスト山本宗輔ブログでさらに詳しくご覧ください。

皆さんありがとうございました。

 

カテゴリー: 右肩下がりの経済学
(2013年07月31日)
投稿者:okamoto

成長の限界

環境の許容範囲を超えた結果自滅。地球の未来でないことを願う。

 

仕事とは何か

立ち止まって考える時間のある特権的な時期を過ぎると、就職という形で社会へ出てゆくことになります。商学部を卒業しながら「お金がお金を生むこと」に納得できない私は、最も商学部らしい就職先である金融、損保などをまず初めに除外、そして当然のことながら原発や公害さらには戦争に関わるものづくり企業にも進めません。当時の私はまだ「経済成長による豊かさ」に懐疑心を抱きつつも、世の中の役に立つものづくりこそが経済の本質との思いも強く、カメラメーカーに2年間勤めてみましたが、このころは既に、良いものさえ作っていれば良かった「倹約が美徳の時代」が終わり、目先を変えながら次々と新製品を出し、どんどん新しいものを買ってもらう、いわゆる、「使い捨ての時代」が始まっていたのです。当時の労働組合の考え方は、仕事は辛いものと諦めた上で、辛い仕事の代償としての賃上げ、そして労働時間の短縮のみが求められていました。レジャーや消費生活を楽しむ事により仕事で満たされない部分の穴埋めをしながら、企業との運命共同体を決め込み、膨らんだ利潤の分け前をおねだりすることが、「現実的な常識」となっていたのです。一日の大半、そして人生の大半を占める仕事の時間が楽しくないと認めることを拒んだ私は、きっと贅沢な人間なのでしょう。再び悩ましい時を過ごすことになりました。

 
資本主義の無政府性

60年代半ばには冷蔵庫、洗濯機に加え、東京オリンピックを契機にカラーになったテレビ、クーラー、自家用車が普及、日本中が経済成長の豊かさを享受した時代です。このころが、物心共に豊かさを感じた、戦後の一つの到達点だったのかもしれません。それから10年後には早くも短いサイクルで耐久消費財を買い替えさせる「使い捨ての時代」に突入してゆきます。かつて、工作機械のメンテナンスなどを仕事にしていた友人が、町工場の社長さんに「昔は10年もった機械が今は3年で壊れる」とよくお叱りを受けたと聞きました。「今は3交代で機械は24時間動いているのにね」と。生産設備がコンピューター化され、供給力が飛躍的に向上しても、需要が劇的に伸びるということは考えられません。これに見合った需要増の方策としては、車のデザインを丸くしたり、四角くしたりしながら目先を変えて、商品寿命の短命化を図り、ファッション性を取り入れることで「慢性的飢餓状態」を人為的に作り続けながら、グローバリズムの旗を掲げて他国の市場に土足で踏み込む以外に方法がないのです。供給の伸びを需要が吸収できなくなった「使い捨ての時代」に入ると、かつてのように機械の導入による生産性向上の成果のおこぼれにあずかることもままなりません。非正規雇用を増やし、過労死するほど働いた成果は、もっぱら投資家に還元されるのみで、生産性の向上は人々の暮らしを豊かにすることが目的ではなかったことを知るのです。こうした資本主義の無政府性を根本的に変革するべく、生産手段を資本家の手から労働者に奪取し、一定の統制の下での生産活動を想定したマルクス主義経済理論は、当時の圧倒的な供給不足という時代背景から、機械の導入がやがては地球環境を脅かすような過剰な生産力を持ち始めるという事態までは想定することができませんでした。1883年に没したマルクスがもしこの未完の思想を今でも発展継続していたならばどんな解決策を提示しているのでしょうか。「右肩上がりの経済」という常識を誰もが非常識と認識するまで原発はなくならないことを肝に銘じ、21世紀の豊かな社会論を私たち自身が創造していかなければならないのです。

カテゴリー: 右肩下がりの経済学
(2013年06月28日)
投稿者:okamoto

限られた環境で肥大化した植物の運命は?

右肩下がりの経済学
人が幸せになる為の方法は経済成長しかないのでしょうか。既に成長の限界を超えてしまったこの世界が破滅を免れ、再生する為の処方箋は「右肩下がりの経済」に移行するしかないと私は思うのです。経済学者が避けてきたこのテーマに、わが身を振り返りながら挑んでみたいと思います。

メディアによる刷り込み
戦後の焼け野原の時代から立ち直り、テレビの普及と共に「アメリカの豊かな暮らし」をブラウン管のホームドラマの中に見ながら育った私たちは、それとは気づかずに資本主義社会の「経済成長による豊かさ」という洗脳を無防備にも浴び続けて育った世代と言えるでしょう。自転車を乗り捨てて家に走り込み、大型冷蔵庫をバーンと開けて大きな瓶から牛乳をラッパ飲みする子ども達の姿に衝撃を受けたことを鮮明に覚えています。
もう一つは西部劇。自由を求めて西へと開拓を進めるフロンティアの前に立ちはだかる「野蛮なインディアン」を、騎兵隊が銃の力で制圧するという「正義」の物語です。今でもグローバリゼーションと名を変えて世界を席巻するアメリカの伝統的手法です。
一家団欒の茶の間という無防備な空間に娯楽として何の抵抗もなく侵入してきたTV文化は、GHQの戦略による見事なイデオロギー教育だったことに今更気付くのです。夢のエネルギー・原発が導入され始めたのもこの時期で、読売新聞、日本TV の正力松太郎が深く関与していたことは有名です。しかし当時の私は「資源のない国」日本が「アメリカの豊かさ」を手に入れるには、原材料を輸入に頼りながらの加工貿易しかないと結論し、将来貿易会社で働く為に大学は商学部へと進むことになったのです。

疑問と向き合う
折しも時代はヴェトナム戦争、70年安保と沖縄返還問題そして高度成長の歪から水俣をはじめとする公害問題が頻発していたころでした。人生何が幸いするか分からないものです。こんな時代だからこそ、私にも改めてもの事を根本から考えてみる機会が与えられたのです。
人の命を脅かしてまで利益を追求する企業の倫理、そしてお金がお金を生むという成長の論理に納得がいかない当時の私は、時代の流行だったのか単なるへそ曲がりなのか最も商学部らしくないマルクス経済学のゼミを選択したり、東大工学部で宇井純さんが主宰する「自主講座・公害原論」に顔を出したりと、「資本主義経済の謎」に迫ろうと試みていました。

常識というイデオロギー
「経済発展を目指す」ということだけが現実的なのであり、今ある現実を常識として固定させ、それ以外は現実離れをした単なる空想、理想に過ぎないと一蹴する手法は、今無いところのものを目指すオルタナティブな思想の芽を摘む為の最も有効な手段です。
そういう意味からも「想像してご覧...」で始まるジョン・レノンのイマジンは当時もそして今も常識に対する脅威なのです。
私が「お金がお金を生む」という常識=イデオロギーに疑問を持ち、「贅沢な悩み」を持ち続けた訳はただ一つ、一度だけの人生を誰にも騙されることなく自分の納得のゆく生き方をしたいともがいた結果です。宇井さんは「自主講座」の中で、公害を生み出すような経済発展至上主義(現代の常識)は当分変わりそうもないとする大方の悲観的な考えに対し、「江戸の中期にこの社会が変わると思った人がどれほどいたのだろう」と答えています。

続く

 

カテゴリー: 天池窯にっき
(2013年02月05日)
投稿者:okamoto

昨日の午前10時ガス窯に火を入れました。

今朝の6時半に1235度に達し20時間に及ぶ窯焚きは無事終了。

無事とは言っても窯出しをする結果はわかりません

ところで、焼き物というと薪の窯を連想する方も多いと思います。3日3晩火の番をしたとかありますが、土を焼き締め、ガラスの釉を溶かすのに

実質かかる時間はどんな窯でも一緒です。昔ながらの登り窯などは窯の煉瓦を温めるのに時間がかかるということです。

ちなみにガス窯の場合、業務用で見かける50KGのボンベ2本を消費します。

エネルギーのことを考えたらおろそかに仕事はできません。

愛着を持って長~く愛用してもらえるモノづくりを心掛けています。

 

 

窯詰を終了

 そして窯だし

カテゴリー: 天池窯にっき
(2013年01月31日)
投稿者:okamoto

 政権交代後、3日もたたぬうちに株価が上昇するなど「経済」をめぐる動きが活発です。

大学は商学部を出た私ですが、勉強をしなかったせいなのかどうなのか、当時から、お金がお金を生むということが全く理解出来ず、誰かが割を食ったおかげで誰かが儲かるという社会の仕組みを良しとしませんでした。

「経済」とは人が体を動かして生み出した価値の総体のことであり、ものづくりが基本と考える私にとって、農業など人間のいのちを支える仕事はもっともまっとうな仕事に思えました。こんにち、一般に認識されるようになった「有機農業」のパイオニア達同世代の皆さんたちもきっと同じ思いだったに違いありません。

私自身は農業そのものよりも農閑期の仕事として日本の各地で盛んだった手仕事に魅かれ、暮らしの道具作りを目指すようになりました。

かつてバブルの時代に、よく「儲かるでしょう」と言われた事がありましたが、肉体労働の生産には限度があるので、便乗値上げでもしない限り世の中の「景気」とは無関係に淡々と仕事をつづけるまでのことでした。

バブルがはじけた直後、「もうモノは充分手に入れた、これからは心の時代だ」などと一瞬頭を冷やし世の中を冷静にみつめる機会もありましたが、すぐに百均など価格破壊と称する商売が横行し、今日に至ります。

またぞろバブル待望の社会現象、この国の人々は学ぶということを忘れてしまったのでしょうか?

 

カテゴリー: プロフィール
(2012年12月10日)
投稿者:okamoto

 岡本一道:陶工

岡本一道(陶工)おかもと・かずみち


1948年 鎌倉市に生まれる

1973年 京都府立陶工専修職業訓練校にて作陶を学ぶ

1978年 小諸市にて天池窯開窯

1995年 仕事場に、風力・太陽光発電を導入

1997年 COP3京都会議のNGO企画、「小さな発電所長会議]に参加

1999年 沖縄、読谷村、島袋常秀工房にて研修後、「りうぼうギャラリー」にて個展

      自宅に2.88KWの太陽光発電を設置、以後現在まで電力の100%自給

2001年 信州・地球温暖化対策研究会に市民公募で参加

以後、06年まで「長野県地球温暖化防止県民計画」づくりに参画

2004年 信州発・産直泥つきマガジン「たぁくらたぁ」の編集委員として

      「石油文明から太陽文明へ」を連載

2005年 「陽のあたる坂の街」の特長を生かした環境提案を小諸市に提言、市内全ての小中学校に10KWの太陽光発電設置が実現

2011年「小諸エコビレッジ」づくりに参画

2013年 小諸・天池窯35周年記念展を5月に計画中