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March 2023 の投稿一覧です。
カテゴリー: ミュージシャン
(2023年03月20日)
投稿者:suoyon
shorter's albums



Wayne Shorter追悼#3

マイルス、チック、フレディ・ハバード、マッコイ・タイナーと1960年代に日本では
新主流派とか呼ばれた(まあマイルスはマイルス、チックはチックだけど)
アルバムを次々に出してたミュージシャンが旅立ってしまった。フレディ・ハバードなんかは
凄いテクニックのトランペッターだったし、ハンコックの『Maiden Voyage』で凄いソロしてる。
マッコイもコルトレーン死後少ししてから急にコルトレーンの後を継ぐような
アルバムを連発していて凄い勢い感じた。
そしてLydian Flat7thの師匠、チック・コリアがいなくなり、ショーター先生ときちゃう。

ショーター、死ぬ直前までエスペランサ・スポルディングという
若き天才肌のミュージシャンとコラボしているのも凄い。

振り返って
ウェイン・ショーター、1960年代っていうと。
モダンジャズ(スウィング・ジャズは白人の軽いダンス音楽と考え硬派な人はジャズ扱いしていないので
モダン・ジャズ、パーカー以後がジャズという考え方)を作ったチャーリー・パーカーから
1950年代にはハードバップへ進化し
それらを受け継いだ時代で、一方にオーネット・コールマンがフリー・ジャズを
提示し。そしてフリーまではいかなくて全体の枠はあり、みたいなモード手法の発展があり、
バップ以後コード進行が複座になりすぎインプロヴィゼイションの自由さを求めた演奏家たちは
いろんな手法を模索しつつ1960年代を生きた。

1960年代中期からはエレクトリック、ロックといった新たな価値観、
技術革新のなかで1960年代末は混沌となっていき・・・いやいやメチャ面白い時代でした。
誰かがアルバムを発表するたびにワクワクしたし、それまでの音楽を壊していく、みたいな。
それは業界の枠みたいなものにも革新が起きてフリーコンサートとかも起き、
その後産業として巨大になり過ぎて、マーケティング的に売れ線みたいな考え方になる直前、
いい加減な感じを含めてミュージシャンの自由度が高かったような気もする。
勿論食うことを考えないと、という面はいつの時代もあるけど、確立された体制に向かっていく、
みたいな価値観が若者の間で共有されてた気がする。今はちゃんと売れることやろう、
お客さんが喜んでもらえること、といった良くも悪くも商業的に発展しすぎたような価値観が全体を支配する時代。

ショーターさんは神秘的な曲がひとつのコンセプトで、ハードバップの普通な曲の書き方から早く抜け出し、
オリジナリティを感じる音楽を作ってた。しかし当初ロックをすぐには受け入れていない。
こういうところも自分でコンセプトが建てられる人だから、ロックが流行ったからといってすぐに飛びつかず、
やらされてる感がないのがショーター。マイルスはいい意味で若者の中に飛び込みたかったんでしょうね。
名作でいて大問題作『Bitches Brew』(Miles Davis)の中のショーター作品はアルバム中唯一4ビート系だし、
写真中央の上から2番目の『Odyssey of Iska』もリズムはブラジル寄り。
そしてミルトン・ナシメントというブラジルの素晴らしきシンガーソングライターを世界に紹介したり。
WEATHER REPORTになるとロックリズムも取り入れている。
カテゴリー: ミュージシャン
(2023年03月12日)
投稿者:suoyon
super nova


SUPER NOVA(1969)《ショーター追悼その2》

1969年の11月に三島由紀夫が自決し、一方ではベトナム戦争反対、ヒッピムーブメント、
学生運動、70年安保とか世の中が動いていた時代。
自分の通う高校も学園紛争の波が押し寄せ学生運動家たちによって秋に学校が占拠、
封鎖され僕らは翌年の4月まで授業がなかった。(→学校の授業ないので勉強もしなくなっちゃった)

音楽のほうではマイルスの『IN A SILENT WAY』(1969)『BITCHES BREW』(1970)と問題作が連発、
従来の4ビートのジャズに革命が起こったような刺激的な時代だった。
ジャズ保守派からはロックに迎合したという意見もあるが『BITCHES BREW』は通常のロックビートではないし、
普通のポップなコード進行の曲でもない。そんなイージーなロック迎合ではない。

ただマイルスは「俺は世界一凄いロックバンドができる」と豪語していた。
マイルスはロックの奴らが凄い稼いでいるのにアタマ来てたし、いつまでもジャズが
夜のクラブで酒のつまみBGMしてることから抜け出したいという強い気持ちがあったのだろう。
ワイト島の野外ロックコンサートに前座扱いの昼間に出演している。
すでに巨匠域のジャズマンがだ。
またジミ・ヘンドリックスやファンク系にも興味をいだいていた。

坂本龍一さん(父親が三島の編集に関わった方らしい)も当時東京芸大作曲科に入った、
しかし『BITCHES BREW』とかが出ているし、学生運動等激動の時代なのに、
みんなクラシックのお花畑状態で違和感を感じだんだん行かなくなった、と言っている。
ただ民族音楽の小泉文夫の講義は受けてたとか、民族音楽と電子音楽の興味に傾いていった、
ということらしい。僕も小泉文夫の本は殆ど読んだ、当時のテレビ出演もよく見てた。

写真のウェイン・ショーターの『SUPER NOVA』(1969)もそういった革新的なアルバムだった。
ショーターはソプラノサックスを吹き、コード進行の音楽ではない、
そしてモード手法の概念をさらに超えてアブストラクトな世界観にいっちゃった。
これはやはり60年代フリージャズや現代音楽のアヴァンギャルドということだろうか。
ショーターの場合、ロック的なリズムにはいっていなくて南米寄りの感じ。
ただ時折リリカルなメロディがあり、僕は「Capricorn」という全体はルバートで演奏される曲の
モティーフをアレンジして自分達のバンドで演奏していた。
一見カッコよく聴こえるが、今聴いたら高校生の稚拙なアレンジではあろう。
ただコピーとかではなく原曲を壊して独自の発想に置き換えて演奏していた。文化祭でやったと思う。

この『SUPER NOVA』ではジャズやロックを自在に超えて弾きまくるギタリスト、
ジョン・マクラフリンの出現も凄かった。
『BITCHES BREW』では演奏がすごくてマイルスはある曲名に「ジョン・マクラフリン」と命名しているくらい。
またその後ショーターとWEATHER REPORTを結成するチェコ人ベーシストのミロスラフ・ヴィトウスも参加、
またチック・コリアもドラムとヴィブラフォンを演奏している。
集団的な即興アンサンブルで厳密なソロ回しはない。

1曲だけアントニオ・カルロス・ジョビンの「Dindi」が唯一メロディアスな普通の曲。
この名曲をマリア・ブッカーが歌い。
最後は感極まったのか、泣き声が入っている。
ただこの名曲も前後はアブストラクトな演奏で情緒的に流されていない。
1曲目のペシミックな1モティーフをひたすら展開即興する「Super Nova」は
疾走感の凄い曲、珍しくショーター吹きまくる。
「SweaPea」はチックのヴィブラフォン、ウォルター・ブッカーのガットギターが
神秘的に導入,独自の抽象的なバラードともいうべきか。
マイルスバンドでもやっていたリズムキープの聴きやすい「Water Babies」とめちゃ好き。
ピアノがいないので和声が支配的にならない、いい意味での揺れ、きちんとした感じじゃない
のがとてもいい。ピアニストがいると和声に安定感が得られるがセンス悪いとこういう曲では最悪。
モード系のジャズはコード進行というレールが敷かれていないので
素人ジャズには手を出せない部分がある。概念を理解するのが難しい。

アイアート・モレイラ、ジャック・ディジョネットと最強メンバーがまたいい。
カテゴリー: ミュージシャン
(2023年03月04日)
投稿者:suoyon
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WAYNE SHORTER

感謝しかないです、ショーター先生!
(先生って、こちらが勝手に言ってるだけですが)
音楽家としての最大のリスペクトの存在、作曲家、サックス奏者の
ウェイン・ショーター、89で・・・
2018年の遺作となっている『EMANON』(No Nameの逆さ字)は
80代半ばで作ったことになるが、なんとこの攻めの姿勢!
最後まで余裕でスタンダードを吹くとかじゃなくて、作曲家演奏家
として現役でした。グラミー賞を12度受賞ですか、凄い。

とにかくコンセプチュアルな人。オリジナリティの人。こだわりの人。
若いときからすでにオリジナリティが備わっていたような印象。
1960年代にマイルス・デイヴィスのバンドに入ったが、ショーターの曲は
マイルスは一言もダメ出しや文句つけることはなかったとハンコックは言う。
1960年頃にアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズで来日していて
その映像(確かTBSテレビで放映した)が残っているが、その時日本の
ジャズミュージシャンと交流して日本にモード・ジャズの理論的なことを
教えたという。まだ20代のショーター先生、すでにモードジャズの師です。

マイルスバンドにはハービー・ハンコックが先に入っていたがショーター加入で
ショーターの曲がマイルスバンドのメインになるとハンコックも影響受けて
ショーターのモードジャズの最大のパートナーになっていく。

1969年頃僕は高校生で渋谷ヤマハのジャズのレコード(アナログLP)の
定期的なバーゲンに友達と通った。そこで友達の市川がショーターの『SPEAK NO EVIL』(写真)を買った。マイルスでのショーターしか知らないので多分アヴァンギャルドじゃないかと思っていた。(1960年代の新たなジャズはモード派とフリージャズ派に分かれていた、そしてモードについてはよくわかっていなかった)市川が「良かったよ」と。しかし高校生で
流行の音楽に目もくれずショーターの『SPEAK NO EVIL』いいなんて言ってる、
その後のオタクに通じるかもだ。
そこからだ、ショーター先生を尊敬し何十年も聴くようになった。

ショーターはイマジネイティヴで神秘的な、ペシミックでアジア・アフリカみたいな価値観を60年代に持ち合わせていた。アメリカって前向きでイケイケじゃないと、
みたいなミーハー印象があるが、そして同時代の巨匠ジョン・コルトレーンがイケイケの求道者的な音楽に比べ、ショーターはバンドのアンサンブルとか全体でのカラーを大切にしていた。弾きまくれるテクニックがありながら、そうしたプレイはそんなにせず無駄を省き知的なアドリブをしている。
ジョニ・ミッチェルとのコラボも多いが、そういったショーターのアドリブの特徴が顕著に出ている気がする。

写真の『SPEAK NO EVIL』は1964年ニューヨークのルビーヴァン・ゲルダースタジオでのレコーディング。6曲すべてがモードジャズの名曲。
31歳のショーター、すでに50年代のバップを抜け出し自分のカラーの作品を発表している。
フレディ・ハバード、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、エルヴィン・ジョーンズでエルヴィンはコルトレーンバンドのドラマー。3連の小刻みなドラムワークが、マイルスバンドのトニー・ウィリアムスとはまた別の味。
ハンコックのモード解釈は完璧。この時期ハンコックかマッコイ・タイナーって
ことになるが(チック・コリアが出る前)、ハンコックのデリケートで大胆なプレイは凄い。
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